ねむりひめ

「きこえないよ」
 ガラスの箱の中にいる女の子。
「きこえないんだ」
 近づく僕の姿に、目に涙を浮かべて頭を振る。
「君がなにをいっているのか、僕にはきこえない」
 透明な表面に手を伸ばす。触れたら、ひかり。
 まぶしくて腕を上げた。その瞬間に。女の子はもうここにいない。
 後に、金色の鎖のついた鍵だけが残る。


「眠り姫の鍵だね」
 振り向くと、背の高い男の人が立っている。
 ぴかぴかに磨かれた黒い靴。濃い緑の、ストライプが入った細身のスーツ。薄い褐色の肌、暖かそうな混色の瞳。中折れのソフト帽。
「眠り姫って、さっきの、閉じ込められていた女の子?」
「閉じ込められていた?」やさしそうな笑みで、彼は首を少し傾けた。「そう・・・・・・ガラスの箱に入った女の子だ」
「眠ってなんかいなかったよ」
「眠りたいのさ」
 僕の言葉にすぐ答えて、彼は言う。
「だから、眠り姫だ」
 僕は金の鎖を握り締めた。「僕、あの子を助けたい」
「助ける?」不思議そうに、初めてのように、その言葉を発音してから、男の人は少し笑って、右のほうを指差した。「あっちにいるよ。名前はサチカだ。君は?」
「コミノ。お兄さんは?」
 彼はゆっくりと首を横に振った。
「私に名前はない」
「名前がなくちゃ呼べないよ」少し困って、僕は言う。
「では・・・・・・そうだね、キト、と呼ぶといい。言えるね?」
「キト」
 声を出せば、どこにも引っかからない、きれいな音だ。冬の影に似ている。何も押しのけたりしないまま、ただ静かに存在だけしているような。
 キトは満足そうにうなずいた。僕は金の鎖を首にかけた。
 しゃら。胸の辺りにきた鍵がほんの少し重たい。
 僕はキトが指を差したほうへ歩き出す。足を運ぶたび、灰色の土の中に靴が少しめり込む。
「色がないのは、あの子が閉じ込められているから?」
「眠り姫だからだよ」
「助けたら、この世界に色がつくの?」
「そう・・・・・・望むなら」
「色があるほうが良いよね?」目の前に浮いている灰色の鳥を見て、僕はいった。
「生きているようには見える」キトはいった。
 キトには色がある。
 僕らの行く道を縁取る木々や、足元の落ち葉、鳥、ほかの動物はみんな、灰色だ。少しも動かないから、何があるのかわからないくらい。
 この世界は盲いている。そんなことを思う。僕はこの世界と僕の境目がわかるし、この世界を認識することもできる。それは僕が僕の中に『世界の有るべき姿』を持っているからだ。この世界は、それを失っている。世界として構築されることを拒んでいる。そう思える。
「あの子は、色を知らないの?」
「時を知らない」キトは口の端をゆがめた。「世界が時とともに移ろうことを知らない」
「この鍵には色があるよね」僕は鍵を鎖を引き上げて見せた。細い、華奢な鎖。
「望みだからね」
 キトは歩きながら、僕のほうを向いた。
「コミノは、どうしてここにきた?」
「サチカと帰りたいから」僕は答える。
 僕はあの子と帰りたくてここに来た。僕らがいる世界に、本当はあの子がいるはずの世界に連れて行きたくて。一人ぼっちでいることなんてないんだから。
「・・・・・・君とその鍵はサチカの望みだが、同時にこの世界こそがサチカの証でもある」
 つぶやいて、キトはそよぐことのない枝を寄せた。
 その向こうにはガラスの箱が見える。
 サチカだ。
 僕は箱に駆け寄った。
 彼女は箱の中で、眉を寄せて口をパクパクさせている。
 僕はキトを振り向いた。
「君が持っている鍵をガラスの表面に当てれば、眠り姫の時計は動き出すよ」キトは木に寄りかかったままいう。
 僕はいわれたとおりに金色の鎖を首からはずして、鍵をガラスに触れさせた。
 ひかり。
 まぶしくて目を閉じて、もう一度あけたときには手を地面について座り込んでいる女の子が見えた。
「きみが、サチカ・・・・・・?」
「こないでって、いったの」
 サチカは、僕を睨んだ。
「コミノを呼んだのは、君だ。サチカ」キトが近寄りながら言葉を投げた。
「うそよ」サチカはすぐに返す。
 キトは片目を細めて、頭を少し傾けた。
「本当だ。この世界では君が望まないものは存在できない」
「あなたは存在している」
「キトとして、ね。本来の私ではないが」キトは苦く笑う。「だからこの世界は色を変えないだろう? 動き出すこともない。君が、そう望んでいるからね」
「私は誰にも近くにいてほしくないの。誰ともかかわりたくない」サチカは手で顔を覆った。
「世界には、本当は色があるのに?」僕はいう。「もっとたくさんの生き物や、人がいて、動いていて、音をたてているのに?」
「でも私はそこにいたくなかった。みんな私を侵食しようとする。私のままでいさせてくれない」サチカは顔を上げた。「ひとりでいるほうが良いわ。ひとりでいれば、誰ともかかわらなければ、私は私でいられる。私をすり減らすこともない」
「・・・・・・君は目覚めることもできる」キトは表情を変えない。「君はいったい何のために、君自身を保存している?」
サチカはうつむいて、地面についた自分の手を見つめた。
「僕は、きみと行きたいよ」僕はサチカにいった。
「きみの時間を、世界を、僕にも見せてほしい」
 サチカはうつむいている。
「・・・・・・眠り姫が起きたいと思ってるなんて、誰が決めたの? どうして無理に起こそうとするの? 眠ってしまいたかったのかもしれないじゃない。ずっとずうっと、自分の時を止めてしまいたかったのかもしれないわ」
 サチカは顔を上げた。
「みんな不安なんだわ。違うのが怖いのよ。同じに感じなくなることがいやで、自分が信じる正常の中に引きずり込もうとするの。外から眺めなくちゃ本当は自分たちのほうが異常だなんて気づかない。気づかせたくないのね」
 キトは表情を変えない。
「私は、あなたと同じになんてならない」
 あ お い ひ と み が 、 ぼ く を み つ め る 。


 ややあって、ため息の音。
「また、消してしまったね」
「必要ないもの」
「そう?」彼はくすりと笑う。「本当に?」
 サチカは、彼をみる。
「私、あなたの思わせぶりなところ、大嫌いだわ」
「私は、君の頑なさが大好きでね」
「悪趣味」
「それはどうも」
 彼が優雅に一礼して見せると、しばらくそれを睨んでいたサチカはかぶりを振って灰色の地面に落ちた金の鎖を拾い上げた。
 そして掻き消える。
「おやすみ、眠り姫」
 彼はソフト帽を丁寧にかぶりなおすと、きびすを返してゆっくりと歩き出した。
「止まっているように思えても、時は流れているよ。今なんて、簡単に過去になる。後戻りも、取り返しも効かない。自分の行動に自信がもてず、導がもてずに迷ううちに、すべて手遅れになっていくんだ。小手先の理論で防衛してみても、意味は無い。
 その焦りが、コミノを生んでいくのさ。私は、君がそんなジレンマにあがくさまがとても好きなのだけどね・・・・・・」  彼はひとりごちて振り返り、足を止めた。
「ねえサチカ、君はいつまで、そうしていられるのかな?」
 ガラスの箱は、少女に何も見せることは無い。聞かせることもしない。ただただ深い夢だけが、サチカを包み込んでいる。
 彼は、うっすらと笑みを浮かべて、また歩き出す。


Fin January 21, 2005 Hira



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