Seasons In The Sun

 片足をかけた石がぐらついた。
 あわてて重心を戻すと、斜面を、小枝やその他のものも巻き添えにしながら石は転がり落ちていく。
 思わずつばを飲み込んだ。
 あんなスタンスのとり方はなかったよな。
 一度深呼吸をして気を落ち着かせると、僕は肩から少しずれたテルモスを担ぎなおした。
 僕がイギリスに留学したのは、子供の頃からトールキンやC・S・ルイスのファンタジーが大好きだったからだ。同じ場所に立って、彼らが眺めただろう景色をこの目で見てみたかった。少しでも彼らの世界を深く理解したいと思っていた。
 ・・・・・・だけど、憧れだけじゃ暮らしていけないと、悟るのにそう時間は必要なかった。
 気候や風土も違えばもちろん人も違う。言葉は何とかしゃべれるようになったけど、考え方にまでは正直ついていけないところもある。大学の仲間と話していても、つい黙り込んでしまうことが多い僕を、彼らが重荷に思っても無理はなかった。
 自然のスケールが日本とはぜんぜん違うことに感激した僕は、日本にいた頃には考えもつかなかった趣味―――登山を始めるようになる。実際、これはいい方法だった。つらくても、登ることだけに集中して体を動かしていくと、尾根を見上げた時に空が見えるようになる。後少しだ。そう自分に言い聞かせて足を前に出す。ケルンが見えたときのわくわくする感じ。山頂に立ったときの気分のすばらしさはどうだ。他の何物にも代えがたい快感。充実感と達成感に浸されて、どんなわずらわしさも消えてしまう。
 そうして登山の楽しさに病み付きになっていた頃、僕は無二の親友と呼べる存在に出会った。



 そのとき、横穴でビバークしていた僕は身を硬くした。
 思い出したようにたまに落ちる雫の向こう側に、何かがいる。
 規則的に上下するのにあわせて、てらてらと光る硬そうな皮膚はうろこだろうか? 爬虫類のようだが、ヘビにしろ、トカゲにしろ、こんなに大きいはずはない。何しろそいつがいるせいで、高さ三メートルほどはある洞穴の向こうが見えないのだ。
 ・・・・・・ドラゴン? まさか。
 浮かんだ考えを瞬時に打ち消して、そっと観察する。
 どうやらそれは、僕に背を向けて寝ているようだった。
 しかしでかい。背中のようなものは180センチある僕の身長をゆうに超えるだろう。・・・・・・もしこいつが本当に動物で、しかも肉食だったらどうしよう。眺めながらいろいろと考えて、僕は動けない己をのろった。先ほど滑らせてくじいた足では、ここから逃げることも出来ない。ツエルトもたてられなくて、往生しているところなんだから。
『何の用だ、小さきものよ』
 突然聞こえた地響きのような音に僕は身をすくませる。
 他に人がいたのか? でもさっきの声は人とはとても思えない。腹に響く重低音だ。
 僕はちらりとそちらに目をやった。
 信じられない。
 昔、夢中で集めた恐竜カードの顔が目の前にあった。
 眼窩の前の骨が隆起している様は、アロサウルス・フラジリスそっくりだ。まぶたのついた両眼が、ぎろりと僕のほうを向いて。
 僕の頭なんて簡単に飲み込みそうな、飛び出た口がゆっくりと動く。
『怪我をしたのか?』
 さっきは暗くて見えなかったけれど、後ろのほうに薄く飛び出た皮膚―――羽のようなものが見える。
 ドラゴンだ。
 ・・・・・・なんだ。やっぱり僕は、夢を見ているんじゃないか。
 遠くなる意識の中、そう思ったことだけははっきりと覚えている。



「トルク! お茶を淹れてきたんだ。一緒に飲もう」
 僕は通いなれた横穴に声を響かせた。地響きのような呼吸音が少し乱れた。
『・・・・・・ケイトか』
 あのドラゴンがこちらを向く。
 トルクというのはこのドラゴンの名前だ。本当はもうちょっと違う響きなんだけど、僕にはそれがどうしても発音できなかった。まあ、あっちも僕の名前、笠原圭斗をへんてこなイントネーションで発音してるんだから、おあいこだろう。
 そう。僕が怪我をして入り込んだ横穴にいたのは、やっぱりドラゴンだったんだ。夢じゃなかった。少なくとも、気絶して起きてもトルクはそこにいたし。
 僕は大好きなファンタジーの世界に入り込んだようでうれしくて、すぐに打ち解けた。
 トルクは500年眠っていたらしい。500年前っていえば、大航海時代が始まった頃だ。日本は足利義満の時代。だからトルクの話す英語はどこか古めかしい。
『まったく、三日とあげずに来るな。物好きだ』
 担いできたテルモスからお茶を注いでいると、そんなことを言われる。皮肉っぽいんだ、こいつって。
「ここにいると、楽しいんだよ」
 答えながら、コッヘルに注いだ紅茶をトルクの前に置いた。 [紅]茶って言うのがうなずける、美しい色だ。これを出すのに苦労したんだ。
 トルクは短く、笑うように息を吐いた。
「それより今日の、飲んでみてよ。上手く淹れられたんだ」
 せかすと、トルクはコッヘルに口を近づけた。長い舌ですくうようにして液体を口に運ぶ。
「・・・・・・どう、かな」
 舌の先で転がすようにしながらも何もいわないから、僕はなんだか不安になってくる。ドラゴンと人間の味覚って、やっぱりちょっと違うのかな。
『ふむ。まあ旨いほうか』
 ややあって、もったいぶった口調でそういう。
 なんだよ。会心の出来だと思ったのにさ。
 納得が行かない気持ちで、僕も自分の分を注いで飲む。
 あまやかな渋みと、香りが口の中に広がる。スコーンがほしいとこだ。
 ほらね、旨いじゃないか。フォートナムメイソンのダージリンで、この間出たばかりの新茶なんだしさ。
 また、トルクが笑うような声を立てた。
「・・・・・・なんだよ」
 僕は横目で彼を睨む。
『ケイトは面白い』
「なにがさ」
『すぐに怒る』
「トルクがそういう言い方するからだよ」
『小さきものは皆そうなのか?』
「でっかいやつらこそ、みんなこうなの?」
 小さきものっていうのは、トルクたちドラゴンが人間のことを呼ぶのに使う言葉らしい。だからそれに対抗して、僕はそんなことを言ってみた。トルクが面食らったように瞬きするから、笑えてくる。トルクも笑った。
 あの頃トルクが本当にいたのかとか、いなかったなら僕がそんなとこでいったい何をしてたのかとか、今となってはよくわからない。
 だけど僕はしょっちゅうそこに通っていた。
 多分、こういった場所が必要だったんだ。大人になんてなれていなかった僕には。



『怖いとは思わぬのか?』
 突然、こんなことを訊かれたこともあった。
「何が。トルクの事?」
 彼はうなずく。
「そりゃ、はじめはね。怖かったけどさ。でも僕、ちっちゃい時からドラゴンって大好きだったんだ。恐竜も好きだったし。だから、トルクが目の前にいてすごくうれしいんだよ。憧れだったんだ」
『我らがか? 変わっている』
 なんだか自嘲っぽく響くその言葉に、僕は少し戸惑う。
「まぁ・・・・・・ドラゴンって、僕らの世界のお話じゃたいてい悪者だけどさ。欲深さからドラゴンにされたファーヴニルとか、悪龍ニーズヘッグとか。ヤマタノオロチなんかも、退治されちゃうし。ゲームでもあんまりいい存在じゃないよな」
『そうだろう。何故ケイトは我を好く?』
 僕はなんとなく笑いながら。答える。
「・・・・・・僕には、もとから決められたあくどさよりも、人間の裏切りのほうが痛かったからだよ」
『裏切り?』
 トルクが興味深そうに目を開いた。
「そう。例えば・・・・・・歌が、あるんだけどね。『PUFF ,THE MAGIC DRAGON』って歌」
 トルクは黙って聞いている。僕は先を続けた。
「それって、歌詞が物語になってるんだ。パフっていう魔法のドラゴンとジャッキー・ペイパーっていう小さな男の子が出てきてさ。パフはその子のことが大好きで、ジャッキーにもパフはいい遊び友達で。二人で楽しく遊ぶんだよ。海賊を驚かしたりして」
 僕はちらりとトルクを見た。何を考えているのか、目をつぶっている。
「だけど、ジャッキーはどんどん大人になって、パフのところに遊びにこなくなっちゃうんだ。きっと、他にもっと楽しいことを見つけたんだろうね。
 ・・・・・・パフは大人になんないから。何でジャッキーが来なくなっちゃったのか解らないだろ? 悲しくて悲しくて、泣き続けてさ」
『我がパフとやらなら、自らその子供のもとを去るだろう』
 突然言ったトルクに、僕は目をむいた。
「なんで? 友達なのに、何も言わずにいなくなっちゃうの?」
『友と思うならば尚更だ』
「そんなの、勝手じゃないか。パフを裏切ったジャッキーと何も変わらないよ」
『それを、裏切りとは言わぬよ』
 何か考え込むようすのトルクに、僕は言葉を返せなかった。
 想像と違う感想が悔しくて。でもどうしてそう言ったのか、理解したくて。



 今日のお茶はアールグレイだ。洞窟の暗がりには、ベルガモットの匂いが薄く漂っている。トルクはそれに辟易したのか、注いだお茶に口をつけようとはしない。
「・・・・・・ねえ、トルク?」
『何だ』
 うわ、なんか怒ってるのかな・・・・・・目を瞑ったまま、彼は返す。
「いいや、なんでもない。トルク、アールグレイ嫌いなんだね。今度は持ってこないよ」
 言って、腰を上げた僕を、トルクの低い声がとどめた。
『気になることがあるのなら言うが良い』
 僕はちょっとの間突っ立ったまま、ほほを掻いた。
 そりゃ、訊きたいことなら、あるけどさ。
 トルクはどうしてここで一人で暮らしてるんだろう、とか。
 トルクが前に起きてた500年前ってどういう時代だったんだろう、とか。
 昨日、トルクは僕がなついているのが不思議そうだったし。それって、僕より前の人はそうじゃなかったってことだろ? つまり、500年前の人はさ。
 はじめ、トルクは『何の用だ』って言ったんだよな。怖い声で。怒ってたんだと思う。人間なんてって思うような、そんな関係だったんだろうか。中世って、異端狩り凄そうだし。
 そんなことを考えると、ちょっと気になるからって簡単に何でもなんて訊けやしない。
 今、せっかく仲いいんだし。ギクシャクしちゃったらつまらないじゃないか。
「・・・・・・いいよ、ホントに。なんでもないんだ」
 僕は座りなおして、アールグレイを飲んだ。冷めて、ちょっと渋かった。
『ケイト』
 黙ってお茶を飲んでいると、トルクが呼び掛けた。
『ケイトは、この間のパフとかいう歌が好きなのか』
「好きだよ。歌詞もそうだけど、メロディが凄くきれいなんだ」
 カップでくぐもった声で、僕は言った。
 歌ってみせようかって思ったけど、それより速くトルクは語を次いだ。
『我はパフではないぞ』
 その言葉に一瞬、どきっとした。冷たくなったお茶を一気に飲み下す。腹がざわざわする感じは収まらない。
「それは・・・・・・そんなの、わかってるよ」
 動揺を汲み取られないように、少し早口だったかもしれない。
『そうか?』
 トルクは僕のほうをじっと見ていた。
 そっちに視線を移せば、黄色いあの目にぶつかるんだろう。猛禽みたいな、鋭い目に。
 僕にはそれを真正面から受け取る勇気は無い。
「何が言いたいの」
 少しの沈黙。
 ああ、何でこんな居心地悪い思いをしなくちゃいけないんだろう。
 僕はただ、トルクと一緒にいたいだけなのに。
 僕が黙って空になったカップを見つめていると、トルクは言った。
『我を、幼き憧れの対象にするな』



 それから一週間、僕はトルクのところへ行かなかった。
 ひどい流感にかかって下宿でのびていたんだ。
 だるいというよりぼんやりした気持ちで僕は考えていた。
 幼い憧れの対象って、どういうことだ?
 トルクはパフみたいに見られるのが気に食わないって事なのか?
 それとも僕が子供っぽいってことか?
 考えようとするたびに、ホワイトアウトみたいに意識が溶暗する。
 そのうち考えるのも億劫になってきて、僕は布団を頭からかぶった。
 次に会ったとき、僕はトルクになんて言えばいいんだろう。
 そんな思いだけが胸のなかにこびりついていた。



「トルク!」
 やっと治って、勇気を出して登ってきた僕は横穴の入り口で声を張り上げた。
 あの時トルクは何を言いたかったのか、僕が答えるべき言葉は何なのか結局わからなかったけど、あれで別れてしまうのはあまりに惜しいと思ったんだ。
「トルーク!」
 中にはいって、もう一度呼ぶ。なれない暗がりに、目を細めながら。
 だいぶ寒くなってきたし、奥のほうにいるのかな。ドラゴンって多分爬虫類だから、低温は苦手そうだ。
「ねえ、トルクったら! 聞こえないの? 圭斗だよ」
 奥へ、奥へ進んでいく。こんなにこの穴が深いなんて思わなかった。ライトを点けたほうがよかったかな。
「トルク?」
 さすがに不安になってきて小さな声でもう一度呼ぶ。返事はない。
 トルク、いるよな?
 手を前に出しながら恐る恐る進む。
 手袋越しに伝わる硬い感触。見上げて、思わずライトを点ける。
 ・・・・・・うそだろう?
 行き止まりなんだ。岩の壁が、僕の前にある。来た道を振り返る。ライトで照らす。何もない。
 何も。
 だれも。  どこ、いっちゃったんだよ。
「トルク」
 情けないかすれ声が、喉からこすれ出た。

 

それからどうやって山を降りたのか、僕は憶えていない。



 そのまま大学での学修を終え、僕は帰国して就職した。
 あのひんやりとした横穴での紅茶の味を、トルクの低く響く声を思い出すたび、僕はがむしゃらに仕事をした。
 そして都会の暑さに焼かれながら、時々考える。
 トルクは、僕のことをどう思ってたんだろう。
 僕は、トルクのことをどう思ってたんだろう。
 答えはいつまでも出ない。
 なんとなく見上げた空では、飛行機が雲を引いていた。
 目で追っていくと、機影は太陽の中に入る。
 あんまりまぶしくて、あんまりきれいで、思わず僕は目を閉じた。
 ・・・・・・そうだ、トルクが飛ぶ姿も、きっとすごくきれいだったろうな。
目が熱い。


 仕事を、友達を、家族を、全部ひっくるめて現実って呼ぶそれを両手いっぱいに抱えて。眼は前に向ける。何も見えない将来ってものに。それは現実の続きだ。いつも頭の隅において考え続けなくちゃいけない宿題。


 夢は、どこに持てばいい?


 両手はいっぱいなんだ、これ以上何も持てない。
 重いんだ。
 重すぎて、とてもほかのものは持てない。
 だから道の脇において、歩き出すしかない。

 置き去りにした夢の視線を常に感じる。
 眉を寄せて息をつめてただ見つめる子どもの。
 背中に感じながら歩く大人。

 ・・・・・・それは、何も持てないその人は、僕か? それともどこへでも代わりに入れるただの・・・・・・

 苦しいよ。
 
い きが でき な い

 
しずんでいく あしがうごかない

 トルク!!

 みあげるそらは、ずっと青い。
きっといつも、変わることなく。

Fin Febuary 07, 2006 Hira



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