蒼海の一粟

「ここにもリクがあったなんて、ね」
 うん、そうだねなんて返してから僕は、結局僕らが立つところは誰かが作った甲板にせよ『彼ら』がひとり占めにしている陸地にせよ、立てるようにできているところなんだから本当はどうかなんて何も気にすることはないのになと思う。思うけど、何もいわない。ただ、そうだねって、もう一度いう。
 照り返す波がまぶしい。
「年表、覚えてる?」
「ぜんぜん」
「わたし、おぼえてるよ」
 得意そうに笑って、そらんじる。海の向こうの誰かに聞かせるように。
 僕はそんな風に楽しそうにしている彼女が、きれいだなと思っている。こんなときにこんな場所にいるのが不謹慎なことだとしても。大きな声を出す彼女が常識はずれだと大人がとがめても。
 だって僕はぜんぜん知らない人のためになんて泣けない。悲しい振りをして黙りこくっている人なんて見ていたくない。
 『あのひと』が死んだからって、それがどうだって言うんだろう?
 決めるのは大人たちだ。僕はまだそうじゃない。
「リクに住みたいと思う?」
 たぶん眉を寄せて、僕は尋ねる。
 彼女は21世紀末の出来事を言い終えてから、僕の問いに答える。
「そうね。足元がゆれないって、どんな感じかしら?」
「気持ち悪いかもよ」たぶんリクなんて、『彼ら』の怨念でいっぱいだ。ほとんどの陸地が海の底に沈むことになっても、どうしてもそこにしがみついていたいと願った『彼ら』。
「でも、きっときれいよ。そこから眺める海」


 彼女は甲板の手すりに背を預けて、微笑む。水面から反射した光が彼女の髪を縁取っている。


 きれい、だって?
 何か得体の知れないやわらかいものでなでられたような、そんな不快な感じに響いた彼女の声。
 ふうん、そう。
 そっぽをむいて、相槌だけ返す。彼女がそれに何を思ったか、僕は知らない。
 水の音が、聴こえた。とぷん、なんていうような、何かほんの小さな物を静かに落としたような音。ゆっくり、沈んでいく、音。


 振り返ったのに、そこで微笑んでいるはずの彼女はいない。

 ---リクを欲した彼らは、やがて
 ---かつてこの星の上で、私達は
 ---きみは、地面、という言葉を知っていますか?
 ---すべては還ってゆくのです母なる
 ---かえって 孵って
 ---いつか私達も、選び取るときにいたります。そう、


あなたも


 暗転/反転


 僕は黒い服を着た大人達に腕をつかまれていた。
 何か言ってる、混乱している僕。
 手すりに手をついて、彼女が最後に立っていたところに立つ大人。
「あの子は、選んだんだな」
 その人が言った言葉に、僕は突然われに帰る。
 選んだって? 彼女が、だって、彼女はまだ僕と同じじゃないか。それなのに?
 かっと頬が熱くなった。僕は僕をとどめていた人の腕を振り払う。
 手すりをつかむ。船は、彼女がいなくなったところからどんどん離れていってしまう。
 きっときれいよ、と、彼女が言った場所。見たこともないのに、きれいだと。手が震えた。
「なんでだよ!」
 僕の怒鳴り声は、この手すりを越えて彼女に届くのだろうか。
 なんでだよ。無性に腹が立つ。
「ここだってきれいじゃないか! こんなにきれいじゃないか、見えないの? 見たこともないくせに、それが『本物』だってどうしてわかる? どうしてわざわざ君はそんなのを選ぶんだよ」
 『あのひと』は、それを求めろって、言ったけど。
 大人たちは僕の言葉を非難するように目を向ける。
 かまわずに僕は怒鳴り続ける。
 だって僕達は、まだ
「選ぶ必要なんて、なかっただろ?」
 握り締めたこぶしは白い。
 目が痛い。
「ここだって、僕達が今いるところだって本物じゃないか」
 裏側なんて、見なくていいはずなんだ、それなのに。
 もう僕には、ただただ広く広がる海のどの辺りに彼女がいるのかわからない。
「ミナ!」
 呼ぶ、僕はもう一度、叫んだ。ミナ。
 君は、一人で。
 波のない海の照り返しだけが目を突き刺す。



Fin April 1,2006 Hira


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送