なくなるのが怖い、といって、泣いてしまえばよかったかもしれない。 何が、なんて自分でもわからない。 たとえば誰かに、あえなくなったら。いつもやってることのサイクルががらっと変わってしまったら。 時間がない。お別れの準備なんてできない。さよならなんて、いったい誰ができるだろう。いやだ でも、なにと? そんなたいせつなものって わたしがだいじにかかえていたものはなんだったの 立ち止まる/立ち尽くす はじめてみたような空っぽの手のひらには、涙しか見えない。 「気持ち悪いだろう」 突然彼がつぶやく。 「なに?」 「生きているもの」 ゆっくりと、彼はまたつぶやく。もしかしたら私を見ていないのかもしれない。私と話をしているわけじゃないのかもしれない薄く開いた目で、遠くのほうを見て、少し考えるように、ぽつりぽつりと言葉を放り投げる。 「生きていれば何かしら動いてる。どうして? 一人ひとり違うものを考えながら。たとえば電車に乗り合わせた他人。そいつにも過去が会って未来があって、な。次の駅まで一緒に揺られていく。同じなのに、そいつの中身なんてわかりゃしない。で、そのくせお互いに、わかりもしない何かにいつの間にか舵を取られてたりするわけだ」 私は口を挟む気になれなくて、ただこの人がうっすらと笑いながら音をつなげていくのを黙って聞いている。 「笑ってる。叫んでる。祈ってる。堪えてる。呪ってる。泣いてる。歓んでる。妬んでる。恥じてる。恨んでる。・・・・・・うんざりするね。世界中のやつらがだ。それぞれバラバラ。それでも生きて、動いてる。周りに溶け込みながらな。しかもちっともとどまっちゃいない。いつもいつも前とは違う。気味が悪いだろう」 のどの奥で、くっと笑う。 「何を考えてるからこう動くって、どうやってわかる? 考えてることは違っても、動作になると見えなくなる。同じでいて同じじゃあないんだ」 眼が私を向く。 「知りたいの?」「いや」 彼はすぐにそう答える。どこか満足そうにも見える。 「蝶の羽みたいに無遠慮に秘密めいたもの、推し量るなんてこともグロテスクだ。だから」彼は私から眼をそらさない。「壊すんだよ」 「そうすればみんな同じになるから?」私は彼の眼の中の私を見ている。 彼は満足そうに眼を細めた。「・・・・・・そうだ。そうすれば、ただのモノになる」 「自分のものにして完璧に保存したいと思うのと自分の手でそれを粉々にしたいと思うのはよく似ている」 「そうね」たぶん、その気持ちなら私にも良くわかる。 「ずっとずっと好きだったものが、もしもう二度と手にできないものになってしまうのなら、わたしはきっと私が知ってるその形を壊さないために、それを粉々にすると思う」 「はじめから、なかったみたいに」彼が笑う、やさしそうに、無邪気に。 そう、それもたぶん、『愛した』ということなんだろう。 そこで突然私は、言いようのない安心感に満たされる。とらわれるともいえるような、とろりと薄暗い、甘いにおいのする懐かしい何か。 泣きたいような気持ちで、微笑む「そう、はじめからなかったみたいに。とてもきれいに」 奥にはきっと深い暗闇がある。飛び込んでしまえば大丈夫、私はいとしい宝物をなくすことはない。私だけの、どれとも違う大切なものは誰に変えられることもない。 なみだがとまらない。 でも ね、 「私だけ、それがあったことを知っているの」 そしてそれは壊してしまっても、たぶん、きえない。ずっと。 甘い甘いとげのような痛みに触れたくて、私は何度もその暗闇を覗き込むだろう。 そのあまりのとおさにうちひしがれながらも。 Fin March 4, 2006 Hira
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